共和の歴史
平成9年発行の「自治会館落成記念誌」と、古くから自治会に携わっていらっしゃる方々の話を元に執筆しました。
共和という町名
現在の共和は、徳川時代に淵野辺新田が開発されてから、淵野辺新田、原新田などと言われてきました。
昭和22、23年ごろに行われた町村合併に伴う町名変更の時に、淵野辺新田の古老と青年団の役員が集まり話し合いの結果「共和」という町名に決まったようです。
当時、淵野辺新田と停車場淵野辺駅前の青年達で、共に和して進む青年仲良しグループ「共和青年団」というグループがあり、その名から「共和」という名前が生まれたようです。
昭和24年、淵野辺新田から共和へと改められ、共和町内会が発足しました。
昭和29年に水道がひかれてからは住人も増え、昭和35年に共和町内会から「共和自治会」へと名称変更をしました。
以前は、青年団が主体となって行われていたお祭りも、その消滅とともに自治会主体となり、趣向も自治会によって様々です。
共和では、以前はあったであろう御神輿も、担ぎ手がなく、巡幸が絶えてしまっていたようです。
ある年、神社総代として祭り行事の手伝いをしていた役員に、他の自治会の方から「鳳凰があるのだが・・・」という話があり、相談の結果、その鳳凰を譲り受け、共和の子供たちの為に御神輿を作ろうということになりました。
自治会員の手で作ろうと決まったものの、宮大工などはいません。
ある工務店の社長さんにご協力を乞い、ご指導のもと、約一ヶ月の歳月をかけて三基の御神輿を完成させることができました。
その年のお祭りに間に合わせるため、有志の方々は8月の暑い最中、朝早くから夕方遅くまで、子供たちの喜ぶ姿を思いながら作業にあたりました。
実際に御神輿作りに携わっていた方の話を伺うと、なかなかに楽しい裏話を聞くことができます。
朝、いつものように愛妻弁当を持って仕事にでかけ・・・と思わせ、どこへ通っていたのか・・・
そのあたりは、こんな公の場に書き記してしまうのは忍ばれますので、実際に聞いてください。
聞くところによりますと、当時18名いらっしゃったメンバーの方々、お元気でいらっしゃるのはお二人だけなのだそうです。
御神輿の歴史、みなさんで語り継いで下さいね。
当時、共和自治会には約200名の子供がおり、祭礼当日、町内には巡幸する子供達の掛け声が響き渡っていたということです。
現在では、子供達もクラブ活動などで多忙な様子で、毎年、子供神輿の巡幸の危ぶまれる年もありました。
このような思い出深い自慢の御神輿を眠らせてしまうのは寂しいものです。
とはいえ、神輿巡幸を続けたい大人たちの思いも込め、子供の祭半纏もでき、悪天候でやむなく中止になった年以外は、揃いの半纏を着た子供神輿の巡幸が行われています。
現在の自治会館は、平成7年に完成しました。
自治会の会合の他にもサークル活動などで広く利用されています。
以前、会員数がそれほど多くなかったころは特に集会所のようなものはなく、生産組合が資材を持ち寄って作った6坪ほどの小屋や個人の家に集まり相談する事が常だったようです。
この小屋は、昭和25年頃、農産物の出荷の為に作られたもので、トタン屋根、荒壁に窓もなく電灯もないようなものでした。
やがて世帯数も増え不便を感じ始めたころに、大野小学校近くにあった診療所の建物を払下げてもらい、昭和36年、現在地に土地を借用し移築しました。
当時、他の自治会の殆どが集会所を持たない状態で、日当たりが良く、町内の中心に位置する集会所は自慢の種であったようです。
昭和50年代に入り、急速な世帯数の増加に伴い、建物が手狭であることを感じ始めます。
名目上は生産組合の集荷所であったものを共和公会堂として使わせていただいていましたが、正式に自治会所有の集会所とするため、昭和52年頃から会費の剰余分を積み立てるなどしてその準備に入ります。
年号も平成に変わり、本格的に自治会館建設のための活動がはじまります。
その時々の役員の間でいろいろと奔走し、度重なる話し合いが持たれ、平成6年、自治会館新設に対するアンケートの集計結果をもって自治会法人格の為の臨時総会を開催することとなります。
平成7年7月9日 地鎮祭
平成7年12月3日 落成式
こうして、長い年月をかけ、大勢の方々のご尽力を賜り、今の自治会館ができあがりました。
当初より、増築を視野に入れての計画であったため、自治会館増築の為の積み立てがされてきました。傷みも気になりだし、危険な個所も改善したいと数年に渡り三役会での話し合いが持たれましたが、増築をすべきか、修繕に留めるべきかの結論が出ませんでした。
長く建築業に携わる会員の方の助言を得て、平成25年、2階のベランダ部分の改修と、外階段が危険であることを考慮し、改修の工事が始まりました。
工事を進める中で一部の腐食が見つかり、予定より大がかりな工事となりましたが、想定外の腐食部分の修繕もできました。
雨ざらしで傷みの早かったベランダ部分を無くし室内を広く、雨の日に気を付けて上り下りしなければならなかった外階段を内階段に、会議開催時は玄関から靴がはみ出ていた玄関は、階段を内階段にした事で外側に出す事ができ広くなりました。背の高い靴収納も設置し、玄関外に靴がはみ出す事はなくなりました。
手狭だった事務所も、階段下を利用して少し広げられ、階段下に備品収納用の倉庫ができました。
いつまでもきれいで気持ちよく使える自治会館であるために、月に1度、役員が交代で清掃にあたっています。